アニメと実写とときどきオトン

山本寛監督、通称ヤマカンの最新作、「フラクタル」が今日から放送開始ですね(「涼宮ハルヒの憂鬱」のエンディングテーマのダンスの演出で有名な人です)。
そんな訳で、僕は彼の代表作の一つである「かんなぎ」をツタヤで借りて見直していたんですが、気づいたことが一つ。アニメ作品なんだけど、なんか妙に実写っぽい。実写映画を見ているような感覚に陥る瞬間が多数ある。でも、「実写っぽい」「アニメっぽい」って、具体的にどう違うんだろう…?
それで素人ながら色々考えまして、どうやら「ロングショット」長回しに原因がありそうだと思い至りました。


ロングショット:被写体を遠くから撮る
長回し:ワンカットが長い

この二つは、アニメでは嫌われる、というかあんまり使われない技法だそうです。なぜなら、
ロングショット:被写体が遠い→色んなモノ(背景、エキストラetc)が映る→描くのが大変
長回し:実写の場合、カメラに映るもの(人間、物etc)は自然に動く→アニメでは、あらゆる動きを全て作画しなければならない→描くのが大変
だから。風が吹いて背景の木が揺れたり、人間が瞬きしたり息したりと、実写なら自然に任せられる動作を、全部作画しなきゃいけないのです。限られた時間で作る週アニメでは、出来るだけその手間を省かなきゃいけないんですね。故に、キャラクターを出来るだけ近くで映し、短いカットを繋いでいくような映像が多くなります。


しかし、「かんなぎ」では、上記の二つの技法が割と普通に使われていました。会話する二人のキャラをわざわざ遠くから映し、背景の道路には、車や通行人がちゃんと動いている。素人ながら、描くの大変だったろうなーと思う。
しかしなぜ、山本監督はこんな演出を選択したんでしょうか。
かんなぎ」は、普通の男子高校生が、ある日突然神様の化身である美少女と同居することになってワクワクドギマギするラブコメです。日常(普通の高校生)に非日常(神様美少女)が乱入するという、言ってしまえば割とありがちな構造です。
こういうラブコメの場合、どうしても非日常の方をしっかり描くことに力点が置かれます。番組の目玉は非日常(美少女)であり視聴者は非日常(美少女)が見たい訳ですから。
しかし山本監督は、敢えて違うところに力を入れた。日常です。普通の高校生が生きる日常世界を、通常省かれるような手間を掛けて、しかっりと描いた。ロングショットの情景描写、徒にカットを切らないのんびりとした会話の風景は、実写と見紛うような日常感を醸し出し、故に、乱入してきた美少女の存在を引き立たせる。
ありそうでなかった試みだと思います。

さすが、ハルヒのダンスを作った人だけある。地味だけど、面白いことします。


フラクタルもこれから楽しみです。ここで感想とか書きたい。