情強みたいな言葉を使っている人はあんましだよねみたいな話。

世の中に存在する問題、とくに科学的ではなく社会的な問題への解答は、すべて本屋に行けば得られる。という言葉があります。その通りだと思います。理屈では、論理的には、知識としては。そういった枕詞がつく解決策はあふれ返っているのが現状です。「誰も思いつかなかったようなアイデア」で検索すると検索結果件数が約 682,000 件だったり。idea、アイデアの価値は失われています。


昔から本屋はありましたし、「正解」が記載されている書籍の数はそこまで変わっていないでしょうが、ITなどの情報化がすすむここ10年、「理屈としての解決策」や「今後〜〜はどうなっていくか」を知る人間の比率はかなり多くなったのではないでしょうか。過去の偉人の知恵を借りることを巨人の肩に登るなどといいますが、現代では巨人の肩にはエスカレータがついていると言えます。


分かっているけど解決しない問題。制度、人間関係、仕組み、そして誤ったリーダシップ。これらが原因である問題に立ち向かうとき理屈は通用しません。正しさが正解ではありません。問題の根っこが人間という不合理な存在に依拠している以上、むしろ不合理性を利用する形で(問題となっている人物と仲良くなっちゃって無茶を聞いてもらうイメージですね)問題解決にむけ進むという方策が必要になります。
それを実現するのはコミュニケーション能力であり、ある意味人格的な丸さです。
誰が見ても間違っていない理屈や理論でも。理屈は無力です。実際的な行動か、誰かの感情に訴えて実際的な行動を引き出すアイデアは明らかに不条理でも力を持ちます。人の感情を動かせない人に価値はありません。


情報化社会に情報は必要ありません。必要なくなるからこその情報化社会です。調べれば素朴な疑問なんてすぐ解決してしまうこのご時世。「良い考え」なんてネット上にあふれ返ってます。思考も価値を失って行きます。人間から情報、知識を取り除くと立ち表れるのは人格です。人間関係のスキルです。


情弱なんて言葉がありますが、僕はむしろ情弱のほうが有利だと思います。時間という有限なリソースをネット上の相手に割り振っているのか、人間関係に割り振っているのか。これからの世の中でスキルフルだと言えるのは明らかに後者です。人間関係のノウハウは時代によってもそれほど変化しませんが、情報相手のノウハウは進化が急速すぎてすぐに陳腐化します。昨日までの難題が今日には一瞬で済む作業となっていたりするはずです。情強は強者ではありません。同様にアタマのいい人は有利ではありません。




これからの世の中は「理屈・アイデア以外の部分で強い人」が貴重になると思います。理屈が理屈を呼ぶ屁理屈社会。検索すればすぐに答えや裏付けのある予想は得ることが出来てしまいます。アイデアの斬新さよりも、人を励ましたり、脅迫したりするための声の大きさのほうが大事です。そこの確認は月に一回ぐらいしておきたいなと思うところです。